確かに猫は日中良く寝ている存在で。
和名の“ねこ”というのも、
よく“寝る子”から来たという説が有力なほど。
猫に限らず 子供は成長することへも栄養を使わにゃならんので、
そのためにもよくよく寝ているのだが。
何でまた猫に限っては、大人に育ってもなお、
日中は暇さえあればくうくうと寝てばかりいるものか。
一説によれば、猫は夜行性なので、
昼間はその活動に備えるべく、
寝だめをしているのだなんて言われてもいるけれど。
それも実は、完全な正解ではないのだそうで。
猫族の共通点は、
肉食ならではな、一点集中、一撃必中という方法で狩りをすることで。
ライオンの雌たちなぞは群れなして獲物を狩ることもあるそうだが、
それにしたって、一気に襲い掛かってのあっと言う間に、
その鋭い爪で押さえ込み、雄々しい牙で獲物の喉笛を裂く。
じりじりと囲い込んで狩りをするとか、
遠吠えで合図をし、仲間が待つところへ追い込んで仕留めるといったような、
持久戦には持ち込まぬ“瞬発型”なため、
戦いのときに絶大な膂力を発揮するためにも、
それ以外の場では、出来るだけ体力を温存しておく必要があって。
故に、虎でもライオンでもチータでもピューマでも、
ついでに、ヒグマやシロクマ、大型ワニや大蛇などの獰猛な存在も。
肉食の動物は得てして、
機動力を要する時以外は 無駄に体力を使うことなく、
往々にして…ごろんちょと寝転がっているもの。
猫がやたらと寝るのも、そういう種族である名残りなんだそうな。
さわ…っ、と
どこからか吹いて来た風にくすぐられたか。
冬枯れしていた草むらが揺れて、
わずかに居残っていた木蓮の葉がからからと乾いた音を立てる。
上空の風はもっと捷(はや)いのか、
千切り和紙のような群雲が馳せ参じ、
輪郭の冴えてた月を見る見る内に隠してしまう。
まださほど、
細かい氷の粒のようなものを感じるほどの、
酷な冷えようではない夜気ではあるが。
それでもその暗さは濃密で素っ気なく。
夜空の漆黒がベルベットなら、こちらはさしずめベロアのような、
しわひとつ寄らぬほどの つれなさを鎧った佇まいはまるで、
《 ………。》
そう、丁度の今、その姿を夜陰の中へと現した存在の、
強かに引き締まった痩躯を覆い、
夜風を孕んでひるがえった、紅色の長い衣紋の裳裾のよう。
サザンカの生け垣に埋まっていたかのように、
音もなくの すうと現れたその人影は。
群雲に捕らわれた月光が、威勢を薄めていたがため、
確とした輪郭を奪われていたものの。
肘まで上げての肩越しという、大きな構えで、
浅い色合いの髪の向こう、細い背に負う得物へと、
その左手を延べた寸暇ののちに、
―― ひゅっ・か、と。
風を撒く音とそれから、
何か硬質なものが 刮(かつり)と当たり合ったような、
そんな微かな音がして。
《 ……。》
肩から抜いたものと、もう片や。
そちらは右手で腰から、逆手に引き抜いたもう一刀の、
都合 細身の二刀の和刀。
流れるようなとは正にこのこと、
なめらかに引き出したそのまま、右手の側はくるりと握り変えて。
腕を交差させることで、痩躯の左右へ楯として構えたかと思う間もなく。
《 …っ。》
夜陰に紛れ、宙を素早く翔ってきた何物か。
二つの鋭い切っ先にて削(さく)と捕まえ、
青白い燐光 撒き散らかして、実体 現しかかるのを、
そのまま一気に 戡(ざくり)と斬り裂き。
刀を左右へ振り分けたその無造作な所作に合わせ、
右と左へそれぞれに、振り払っての夜陰へと、
余韻も残さず、あっさり打ち捨てた呆気なさよ。
しかも、
《 ……。》
斬った相手への関心なぞ、もはや微塵もないということか。
乗り出すよにしていたその身をそのまま、
足元 たんと蹴りつけて。
重みなぞ一切感じさせずの軽やかに、
その痩躯を宙へと高く泳ぎのぼらせ。
古めかしい洋館の、スレート屋根へと達すると、
《 …っ!》
その優美な動作の残像のように、ふわり泳いだ髪の裾、
不意に起こった かまいたちだろうか、
しゅっと鋭い何かが掠めたのを眸だけで追って。
それもやはり なめらかな手際にて、
鋭い和刀をくるりと持ち替え。
その所作の半ばから既に、腕が走っていてのあっと言う間に。
まずは取り逃がしただろう、疾風まとって駆け抜けた何かしら。
背後であっさり、その核を突き通しての仕留め終えており。
《 ……。》
最期の光、ぽうと灯したそのまんま、
ほころぶように砕け逝ったは、
闇祓いの彼らがその仕留めを担うところの、
人へ仇なす 悪しき魂魄や邪妖の類であるらしく。
《 どうやら例の髭ヅラが、
知らずに封を解いた古書に、宿っておった連中らしいな。》
こちらはがっちりとした仕様の大太刀を、
細腕だのに容易く振るって、
長虫のような蟲妖、一刀両断したのが、
つややかな黒髪を夜風に躍らせた、久蔵には同輩の兵庫殿。
《 古書?》
《 ああ。伝奇ものを書く資料にと取り寄せた中に、
性分(たち)の悪いの封じた代物が混じっていたらしい。》
つかお前、昼の内に気づかなんだのか?と、一応問えば。
ようやく姿を現した、今宵の月の落とし子のよな金の頭(こうべ)を、
かくりこと頷かせる君なのも、まま、一応は想定内ではあったれど。
幼子のような仕草の割に、
《 もはや精力も薄れておるから、さしたる悪さも出来まいが。》
まだ幾らかが宙を舞うのへ、
届く限りをひょいひょいと切り裂く兵庫の手を避け。
こちらは彼より未熟とでも思うてか、
生き残りの幾つかが、身を練り合うての固まって、
金絲の綿毛をゆらふわと揺らす若いのへ、
ひょっと、一斉に躍りかかって来たものの、
《 放っておくのもまずかろう。》
話を訊きつつ、ただ茫洋と立っているだけのように見えたのが。
白い両の手 ついと上げ、
刀を持ったままな手で、髪を直しただけのような所作。
何とも無造作にその双刀を振り上げただけなのに、
そこへ どういうひねりを、どういう手すさびをしたものか、
――― 削、刮、戡、と
弾け飛んだは、青白い鮮光の破片がきらちかと無数に。
夜風に撒かれ、視野の果てへと運ばれながら、
そのどれもがほろほろと消え去っての、跡形もない徹底振りは凄まじく。
兵庫よりも彼のほが、それしか知らぬ故に苛烈で辣腕だというの、
“……まあ、すぐには判ろうはずもなかろうが。”
あれでも一応はある種の“生”を屠ったというに、
凄惨な仕置きの言わば返り血、
燐光の飛び散る最中に身をおいて、
眉ひとつ動かさぬ冷徹な青年。
封印も浄化の咒も知らず、
徹底した退魔法、滅殺の攻勢しか知らぬ君。
大妖退治という任には、
そもそも、感情なぞ あっても邪魔なだけかも知れぬ。
恩情をかけてやる相手なぞおらぬ、
人知れず、闇の中を渡り歩くのみの身だったから。
だが、それではあまりに侘しいじゃあないかと、
我らが主にあたろう存在が、それこそ気まぐれを起こしでもしたものか。
この“現世”にあっては、微妙に不思議な事態が彼らの上へ訪のうてもいて。
《 やっと自分で外套を出せるようになったのだな。》
紅色という派手さは少々どうかとも感じたが、
それでも自力で念じて物を具象化出来るようになったは進歩ぞと、
お褒めの言葉を下さった朋輩様へ、
《 シチが。》
相変わらずの口数の少なさ、
何とも短い返事を返す久蔵であり。
《 シチ? あの若いのか?》
彼らが立つ屋根の下、
古めかしい洋館屋敷に住まう、金髪の若い方。
その男のことかと聞き返すうちにも、
どういう意味のある一言かに自分で気づいた兵庫殿、
《 だが、いや…待て待て。
人の和子が手掛けたものなぞ、そのようにまとえる訳もなかろうが。》
第一、そうまでしっかとした仕立ての外套を、
縫い上げられるまでの腕をしておったか?と。
家事の得意な彼であることまで知っている上で訊く兵庫だったが、
《 〜♪》
それには何とも答えずに、双刀収めた背後へと、今度は右手をひょいと延べ、
襟元から引き起こして見せたのが、そのまま頭をすっぽりくるめるフードであり。
《 いいことを教えてやる。》
《 ???》
《 シチは二人おる。》
《 ………はあ?》
ますますのこと、要領を得ない言いようをされ、
困惑しまくりな兵庫殿へ。
どういう優越を感じてのことか、
ふふんと微笑ってそれ以上は答えずに。
ではな ということか、くるりと背を向けた久蔵であったれど。
そのまま眼下の庭へ、ふわりと降りかけた彼を追い、
傍らの、桐だろか やはり裸の樹の梢から、
―― 小さな小さな光の粒がポトリと落ちて。
大きさこそ真珠の粒ほどもなかったそれは、だが、
殻を裂かれた邪妖らの、生気の欠片が寄り集まったもの。
単なる露の滴の一粒にも似たささやかな存在へと、
見事に擬態していたそのまま、
人へと取り憑くことが もはや叶わぬならばとばかり。
大妖狩りの君への最期の一太刀、
仕返してやろうとでも目論んだらしくって。
《 …、久蔵っ!》
あまりに気配のない非力な存在だったがゆえに、
察知も遅れて、態勢も最悪。
自然落下をしている同士、
狙われた久蔵の側も、ハッと気づいたのが微妙に遅く、
ままよ、最も悪い目が出たとても、
大事へ至るその前に、兵庫がこの身を裂くまでと、
久蔵ほどの自負持つ男が、それでも最悪の襲撃に甘んじかかったその刹那。
足元、地上から放たれた何かしらの一閃があり。
それは見事に、
今にも首条へと落ちかかっていた凶悪な滴の、
真ん中、核央を貫いたから。
しゅうと消滅の音が聞こえたような気がしたほど、
そりゃあ鮮やかに、悪意の粒は蒸散して跡形もなく。
だがだが、久蔵の側の身へは、
すんでであったにも関わらず、
産毛へさえ掠りもしない無傷なまんま。
《 …?》
どんな大邪さえ破砕して来たし、
どんな無茶だって懲りずに繰り返して来た久蔵が。
最悪も最善もないと、
無事には済むまいと覚悟した凶霊の核を、
ああまで完膚無きまでに、滅殺せしめたは何物か。
そちらもまた、捨て置けはせぬとの鋭い視線、
降り立った庭先の、周辺ぐるりへと巡らせた久蔵へ、
《 …主(ぬし)らへの加担に非ず。》
どこからともなく声がして。
《 彼方の国の和子殿の、信心の恩へ報いたまでよ。》
誰とも判らぬその声も、あっと言う間に掻き消えて。
《 ……。》
まさかと見やった古い祠も、月光に照らされ、青く凍えているだけで。
あとには物言わぬ夜陰が、ただただつれなく垂れ込めるばかり……。
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